「戦わずして勝つ」豊臣秀吉を姓名判断で占ってみた

姓名判断で偉人を占ってみる」企画。明智光秀、織田信長に続く3人目は戦国武将「豊臣秀吉」です。

農民出身から天下統一を果たした「豊臣秀吉」。戦国時代一の出世頭である秀吉の性質を姓名判断の側面から見てみましょう。

豊臣秀吉ってどんな人…?

豊臣秀吉は1537年、尾張国愛知郡(現在の名古屋市)出身。
武家ではなく、百姓の子として生まれた秀吉(当時の名は木下藤吉郎)は、17歳の頃、織田信長の家臣となりました。「信長の草履を懐で温めた」という逸話が有名ですが、20代後半には織田家の有力な武将となりました。本能寺の変にて信長が亡くなった後、織田家後継者となり、1950年に北条家を滅ぼすと天下統一を果たしました。

豊臣秀吉の姓名判断からみる性質は?

【人格】仕事を要領よくこなせるタイプ

【姓の一番下の文字と名の一番上の文字を合計した数が13画】
物事の段取りが上手く、大きな責任の下で力を発揮する。
人好きする性格なので、誰もが手を貸してくれる。
また、計画を立てるのも得意で、仕事に忙殺されることなく、優先順位を決めて仕事をこなしていくことができる。

秀吉を表す言葉として有名なのが『鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス』。
これは秀吉の自分の力で現状を変えていく策略家や知的さ、容量の良さを表現しているといいます。また秀吉は「人たらし」と言われるほど、人をひきつける魅力があったといいます。信長に気に入られ、百姓から天下人になる力はまさにこの人格の持つ力だったのかもしれませんね。

【外格】聡明で堅実な付き合いができるタイプ

【総格から人格を引いた数が24画】
気だてが良く、堅実な恋愛を好む人。
聡明なオーラを醸しだしている上、親しみがあるので、異性からは人気がある。
愛情のやりとりにも長けていて、セレブな相手とお付き合いする機会も多いはず。

秀吉の正室として有名な「寧々(ねね)」。戦国時代は政略結婚が当たり前のように思いますが、二人は珍しく恋愛結婚だったそうです。百姓から信長の草履取りになった秀吉にとって、浅野家の娘の寧々の身分はまさに“セレブ”。また、秀吉は女好きとも言われており、特に高貴な出の綺麗な女性を好んだといいます。しかし、そんな浮気癖のある秀吉ですが、寧々との仲はとても良く、愛妻家だったとも言います。

【総格】晩年に向けて発展する運勢

【姓名の文字の画数を総合した数が37画】
行動力に優れているの、仕事面では成功するが、温かみが欠けてしまうこともあり、人間関係が崩れてしまうことも。

天下統一に成功し、順風満帆だと思っていましたが、実は天下統一後の秀吉の性格は大きく変わってしまったといいます。人を惹きつける明るい性格だった秀吉が甥の秀次に切腹を命じたり、朝鮮出兵を強行的に進めたりと冷酷残虐な性格になってしまったそうです。権力得たことで、あれだけ人懐っこかったはずなのに人への温かみを失ってしまったのでしょうか…

姓名判断からみる豊臣秀吉「“人”があってこその人生だった」

秀吉について調べてみると切っても切り離せないのが「」だと感じました。
天下人になるために避けては通れない「人」との関わり。それが姓名に性質として備わっていたからこそ、百姓出身でも天下を取ることができたのかもしれませんね。

では、今後も偉人の名前を鑑定し、その性質から人物像を探っていきたいと思います!
次回は、天下人と言えばもう一人の「あの人」!お楽しみに!

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※記事内の史実には諸説ある場合がございます。


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